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02 . May
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01 . September
 地域内再投資力の発見

 前回は、地域づくりのための「宝物」の探し方について述べました。次の問題は、その「宝物」を活かして、どのように地域経済を元気にさせていくかという点にあります。その際のキーワードになるのが、地域内再投資力です。耳慣れない言葉で恐縮ですが、実は、私がつくった造語です。今回は、この地域内再投資力という言葉の意味するところを、私の研究の歩みを振り返りながら、解説してみたいと思います。

 私は、もともと日本の地域開発政策の歴史を研究していました。戦前の昭和恐慌以来 、日本では、「地域振興」を旗印にして、企業誘致を中心にした開発政策が繰り返しおこなわれてきました。しかし、その多くが「地域振興」という本来の目的を達成せずに終わっていました。このような地域開発政策の「夢と現実」を、政府や地方自治体、企業の資料を中心に追跡し、なぜ地域開発が失敗してきたのかを考えてきました。

次回・・・岐阜県進出企業と県内企業との比較調査
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09 . September
 岐阜県進出企業と県内企業との比較調査

 大学病院を修了して最初に就職したのが、大垣市にある岐阜経済大学でした。ここでは、地域計画論や地域経済論という科目を担当したほか、大学におかれた地域経済研究所にも属していて、同僚の先生や学生たちと地域の現場に調査に行く機会が格段に増えました。このため、研究分野も、これまでのような歴史研究ではなく、現代の地域経済や地域開発問題に移ることになりました。ときは、ちょうどバブル経済の時代であり、国の第4次全国総合開発計画に対応し、岐阜県でもイベントやリゾート開発など大規模開発事業に加え、積極的な企業誘致政策が展開されていました。

 他方で、岐阜県は、関の刃物、美濃の紙、東濃の陶器、飛騨の木工、岐阜羽島の織物等、日本有数の地場産業の集積地でもありました。1980年代半ばは、これらの地場産業の多くが円高不況に陥ったり、前川レポートの影響で逆輸入品圧力に喘いでいました。

 ちょうどそのころ、県の外郭団体である岐阜県シンクタンクの仕事で、岐阜県進出企業と県内企業との比較調査をする絶好の機会に遭遇しました。大量のアンケート調査に加え、企業へのヒアリング調査も多数おこない、進出企業と地場産業がそれぞれ地域経済にどのような役割を果たしているかを検証する作業でした。この調査の なかで、興味深い事実をいくつも発見することができました。ひとつは、進出企業の撤退率の高さです。20年もしないうちに立地企業の4分の1近くが撤退ないし廃業されていました。
 
 また、現に立地している誘致企業の地域経済への貢献度の低さが目立ちました。岐阜県M市に誘致された大手技術先端企業(本社・東京)の子会社工場と、それとほぼ同じ製造品質出荷額をもつ多治見陶器産地の岐阜県経済への貢献度を比較してみました。前者の企業は、県外にある同一系列の分工場から中間製品を受け取り、それに加工をおこない、半製品のまま再び県外分工場に出荷する役割をもっていました。自動化した工程をもっているため、県内には一つの取引工場をもつだけで、雇用効果も限られていました。利益の多くも、本社に対する原材料、技術料・特許料支払いという形で、流出していました。他方、地場産業の場合、地域内分業が発達しているため、県内に数多くの取引工場があり、誘致企業の10倍の雇用を擁しているだけでなく、卸売小売業といった商業連関もあって、ここでも多くの雇用を生み出していました。両者の地域経済効果には明確な差があり地場産業の中小企業が地域経済の主役であることを、はっきり認識することができました(表)。
 
 表 大手技術先端型企業分工場と地場産地の地域経済効果比較
  X社分工場 多治見陶器産地
 1986年度出荷額(億円) 520億円  503億円
 常用雇用 605人 6151人
 県内関連事業所数 下請 1社 728事業所
 商業関連 なし 935事業所
 同雇用数 0人 2570人
(資料)岐阜県シンクタンク『岐阜県経済の成長過程と県内企業の事業活動の展開』1988年
 
 ところが、当時の岐阜県やM市は、この誘致工場に対して固定資産税の5年免除に加え、国道からの取り付け道路をプレゼントしていたにもかかわらず、県は円高不況に苦しむ地場産地に対しては国が定めた円高緊急融資ぐらいの対応しか講じていませんでした。このような政策の転換を提言したのですが、当時は受け入れられることはありませんでした。蛇足になりますが、岐阜県内の民商さんの集まりで初めて講演したのも、そのころでした。

 いずれにせよ、岐阜での調査を通して、国や地方自治体の地域開発政策に注目して地域経済をみる視点から転じて、地域経済をつくり、支える経済主体である地場産業、地域企業の活動に視点をすえることになりました。けれども、当時は「地域経済力」というありきたりの言葉しか思い浮かばず、もう少し的確に表現できる言葉がないものかと悶々と考える日々でした。

次回・・・長野県栄村との出会い
16 . September

長野県栄村との出会い
 
 バブル崩壊のころ、京都に移り、やはり調査を通して、ある地域との決定的な出会いがありました。長野県栄村です。

 もともとは、京都府農業会議での仕事で、当時京都府内において最も高齢化率が高かった大江町(現・福知山市)で実施した調査がきっかけでした。大江町は京都府北部にあり、大江山の鬼伝説という無形の歴史資源を活かした、ユニークな地域づくりを展開していました。宿泊施設や鬼の交流博物館、鬼瓦公園の建設、世界鬼学会の設立をおこない、全国的に注目されていたのですが、ハコモノが建設される一方で働く場が増えていないという悩みにつきあたっていました。

 また、第三セクターで観光開発をしようとしていましたが、特産品を作る経済主体がほとんどなく、経営的にも展望が見えない状況でした。しかも、高齢者率が高まっており、町としてどのような地域づくりをしたらいいのかを考えなければならない時期に差しかかっていました。

 この大江町の調査を通して、いかに公共投資をおこなってハコモノをたくさん建設しても、地域の働く場が増え住民の生活が向上しなければ、地域が豊かになったとはいえないのではないかという考え方が固まっていきました。しかも、高齢者の生活調査を通して、無年金世帯の存在や、国民年金と厚生年金・共済年金との格差を知ることにもなりましたし、年金総額が町財政の3分の1にも相当し、それが町の小売業、福祉サービス業、タクシー業、建設業に支払われることにより、町の経済や雇用が支えられているという「年金経済」の存在を見出すこともできました。

 産業振興だけでなく、高齢者や子供を含む住民全体の生活の向上のために、何が必要なのかということを明らかにしなければならないと思うようになりました。産業と生活、この両者を総合した地域経済学が必要だと考えるようになったわけです。そして、第3セクターを生かした地域づくりの先進地として、大江町の比較のために訪問したのが、栄町でした。

次回・・・長野県栄村との出会い②

17 . September
長野県栄村との出会い②

 1月そうそうに訪れた初めての栄村は、雪のなかでまぶしく輝いていました。調査で聞く話は驚きと納得の連続でした。 田直し事業と名づけられた圃場整備事業は、国の補助金事業でおこなうと10アール当たり200万円を優に超える事業費を、村単独事業でおこなうこよにより、40万円に圧縮し、しかもそのうち20万円を村が支援するというものであり、工事は村の建設業者にオペレーター契約で発注するというものでした。
 詳しくは、次回に改めて述べたいと思いますが、下水道整備事業も、生活道路整備事業も、できるだけ村財政や家計の負担を減らしながら、村内の業者や住民に仕事をまわし、所得を増やすことが目的とされていました。高橋彦芳村長は、これを「内部循環型経済」という言葉を使って表現しています。

 栄村では、戦前から企業誘致政策や国の補助金事業による公共事業をおこなってきましたが、それによって村民が豊かになることはなく、むしろ過疎化が進行したり、財政的に厳しい状況になっていました。これを反省し、足元にある地域の個性を大切にし、一人ひとりの住民の生活の向上を第一にした政策へと転換したのでした。

 第3セクターである栄村振興公社の経営方針もユニークでした。村の生産者(団体)がつくる特産品や加工品を、手数料なしで買い入れ、販売するというものでした。また、公社が経営する宿泊施設では、村内の農家がつくる食材を買い入れるだけでなく、お酒などの飲料も定価で村内にある複数の酒屋さんから順番に購入していました。

 世間では、バブル崩壊後の第3セクター会社の経営破たんが相次いでおり、「そんな事をしていると赤字になってしまうのではないですか」と思わず聞いてしまいました。

 これに対して、公社の担当者の方は、「村長はじめ私たちは、公社は公益事業としてやっているのであり、住民の利益になるなら赤字になっても構わないという姿勢です。村の酒屋さんは、単に酒を売っているだけではありません。集落の中にあって、毎日、一人暮らしの高齢者が元気に過ごしているかをチェックし、異常があれば保健センターに連絡してもらうという、準公共的な役割を果たしてもらっています」と言い切りました。

 阪神大震災の折、下町の商店主やおかみさんが、崩壊したアパートの住民をいち早く救援し、 コミュニティーの核になっていたことを改めて思い出しました。さらに、後日送っていただいた公社の経営データを見て、さらに驚いてしまいました。村内からの調達率が7割を超え、住民1人当たりで 見ると20万円近くを毎日キャシュバックしている計算になるうえ、なんと単年度黒字経営だったのです。  

次回・・・地域経済の主役
17 . September
地域経済の主役

 私は、この栄村での調査を通して、地域のなかで、投資を繰り返しおこない、そこで雇用や所得を生み出し、地域内に循環させていく力を、自治体と地域の住民、企業が協同して、いかに創っていくかということこそ、重要なことではないかと考えるようになりました。

 そのように見ると、地域には、さまざまな経済主体が存在し、それらが毎年、投資を繰り返していることが再確認できました。民間企業、個人経営、農家、協同組合、NPO、そして自治体も、その中に入ります。
 
 ちょうど、大企業の海外進出が相次ぎ、公共事業の経済効果の限界が明確になりつつある時代において、地域経済の主役が浮き出てきたわけです。そこで、思い浮かんだのが「地域内再投資力」という言葉でした。地域に根ざし、毎年の利益を再び地域に投下し、雇用や所得を持続させる力を表現しています。いわば、域外企業に頼ったり、一過性で地元企業を潤すことのない公共事業依存型の開発政策への反省を込めた表現だといえます。
  
 ちなみに、大江町では、栄村のとりくみに刺激された住民や町職員が、「大江で地酒を造る会」というグループをつくって、さっそく荒廃しかけていた棚田を借りて、都市の市民たちと交流しながら酒米をつくり、これを「大鬼」というお酒にして、地元の商店のみが販売する試みを開始いました。コクがあり、美味しい「幻の酒」として人気がでたのですが、大江町の方は「平成の大合併」の嵐に巻き込まれ、住民の激しい反対運動にもかかわらず隣の福知山市に合併されてしまいました。

 もし、自立した町として存続していれば、もっと地域住民が元気になれる地域になったのではないかと、残念な思いです。

 
次回・・・栄村の地域づくりに学ぶ① 何をどのように学ぶか
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