岐阜県進出企業と県内企業との比較調査
大学病院を修了して最初に就職したのが、大垣市にある岐阜経済大学でした。ここでは、地域計画論や地域経済論という科目を担当したほか、大学におかれた地域経済研究所にも属していて、同僚の先生や学生たちと地域の現場に調査に行く機会が格段に増えました。このため、研究分野も、これまでのような歴史研究ではなく、現代の地域経済や地域開発問題に移ることになりました。ときは、ちょうどバブル経済の時代であり、国の第4次全国総合開発計画に対応し、岐阜県でもイベントやリゾート開発など大規模開発事業に加え、積極的な企業誘致政策が展開されていました。
他方で、岐阜県は、関の刃物、美濃の紙、東濃の陶器、飛騨の木工、岐阜羽島の織物等、日本有数の地場産業の集積地でもありました。1980年代半ばは、これらの地場産業の多くが円高不況に陥ったり、前川レポートの影響で逆輸入品圧力に喘いでいました。
ちょうどそのころ、県の外郭団体である岐阜県シンクタンクの仕事で、岐阜県進出企業と県内企業との比較調査をする絶好の機会に遭遇しました。大量のアンケート調査に加え、企業へのヒアリング調査も多数おこない、進出企業と地場産業がそれぞれ地域経済にどのような役割を果たしているかを検証する作業でした。この調査の なかで、興味深い事実をいくつも発見することができました。ひとつは、進出企業の撤退率の高さです。20年もしないうちに立地企業の4分の1近くが撤退ないし廃業されていました。
また、現に立地している誘致企業の地域経済への貢献度の低さが目立ちました。岐阜県M市に誘致された大手技術先端企業(本社・東京)の子会社工場と、それとほぼ同じ製造品質出荷額をもつ多治見陶器産地の岐阜県経済への貢献度を比較してみました。前者の企業は、県外にある同一系列の分工場から中間製品を受け取り、それに加工をおこない、半製品のまま再び県外分工場に出荷する役割をもっていました。自動化した工程をもっているため、県内には一つの取引工場をもつだけで、雇用効果も限られていました。利益の多くも、本社に対する原材料、技術料・特許料支払いという形で、流出していました。他方、地場産業の場合、地域内分業が発達しているため、県内に数多くの取引工場があり、誘致企業の10倍の雇用を擁しているだけでなく、卸売小売業といった商業連関もあって、ここでも多くの雇用を生み出していました。両者の地域経済効果には明確な差があり地場産業の中小企業が地域経済の主役であることを、はっきり認識することができました(表)。
表 大手技術先端型企業分工場と地場産地の地域経済効果比較
|
X社分工場 |
多治見陶器産地 |
1986年度出荷額(億円) |
520億円 |
503億円 |
常用雇用 |
605人 |
6151人 |
県内関連事業所数 |
下請 1社 |
728事業所 |
商業関連 |
なし |
935事業所 |
同雇用数 |
0人 |
2570人 |
(資料)岐阜県シンクタンク『岐阜県経済の成長過程と県内企業の事業活動の展開』1988年
ところが、当時の岐阜県やM市は、この誘致工場に対して固定資産税の5年免除に加え、国道からの取り付け道路をプレゼントしていたにもかかわらず、県は円高不況に苦しむ地場産地に対しては国が定めた円高緊急融資ぐらいの対応しか講じていませんでした。このような政策の転換を提言したのですが、当時は受け入れられることはありませんでした。蛇足になりますが、岐阜県内の民商さんの集まりで初めて講演したのも、そのころでした。
いずれにせよ、岐阜での調査を通して、国や地方自治体の地域開発政策に注目して地域経済をみる視点から転じて、地域経済をつくり、支える経済主体である地場産業、地域企業の活動に視点をすえることになりました。けれども、当時は「地域経済力」というありきたりの言葉しか思い浮かばず、もう少し的確に表現できる言葉がないものかと悶々と考える日々でした。
次回・・・長野県栄村との出会い
PR