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17 . May
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29 . February
なりわい経済学の課題(1)

分業の弊害克服

 現在の市場万能の経済学に対して「それは違うだろう」と言う声が大きくなっています。まず市場の前提には分業があるわけですが、この分業が果たしていいのかどうかが問われだしています。分業は生産力を圧倒的に増やしますが弊害も目に付くからです。

 例えば社会があまりにも分業され生産者と消費者の距離が離れてしまうと、消費者が何を望んでいるかに鈍感な状態で、もの作りが続けられることになります。今回の不二家の不祥事などはその典型で、生産者が自分がたべるものだったら工場にねずみが走り回る環境でお菓子をつくることはないでしょう。

 いまアパレル業界ではSPAといわれる製造小売業、自社の生産品を直接小売りする企業が主流になってきています。これも分業の弊害をなくすための試みと言ってよいでしょう。分業の弊害は製品の欠陥だけでなく人間にも欠陥をもたらします。工場の一部門で一生それしかしない人生を若者は嫌いますが、これはある意味では当たり前でしょう。このように今の大企業は分業の弊害とのたたかいが主要な課題になっていますが、この克服にとってなりわい経営学が一つの答えとなっているのです


次回・・「効率」の弊害克服
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29 . February
なりわい経済学の課題(2)

「効率」の弊害克服

 これまでの経済学では効率は絶対の善でした。人間が機械の部品のように働くのも効率をあげ、社会にものを多く安く供給する目標があったからで、効率はこの多く安くを実現する絶対条件だったのです。しかしこの効率の弊害も目立ってきています。

 例えば繊維産業の織物で言えば織機、とりわけ高速の革新織機が生まれてから、糸の質は機械でトラブルが起こらない、効率よく織れるということが全体を支配するようになりました。そのためには糸は強さや機械の通りやすさや太さのむらをなくすことが重点になり、織機にかける前のサイジング(糊付け)も繊維を殺すために化学糊が大量に使われることになりました。こうしてできた繊維は「紙のような」ものになり、風合いが全くなくなります。

 日本ではそれならと風合いを求めて新合維というものが開発されました。新合繊維とはこれまで天然繊維をまねてきた合維が天然繊維にないものを作ろうとする動きです。超極細の糸を使っての繊維の「ふわふわ感」、異収縮の糸を合成した「弾力感」、糸の表面を丸ではなく三角にするとか削るとかしての「ごわごわ感」「しわしわ館」を出すなど(いろいろしても合繊だから機械にかかる)、日本の技術力を世界にしめしたものと大騒ぎされました。しかしこれも表面的肌触りだけで、風合いという肌へのやさしさを実現することにはなりません。

 今、あらゆる業種でこうした科学で大量生産の弊害を克服する試みが限界であることが明らかになり、その原点であった効率そのものの考え方、結局使い捨ての効率になっているのではないか、それなら環境問題や資源問題を考えたら、かえって非効率ではないかという考え方が経済学では強まっているのです


次回・・・市場の弊害克服
29 . February
なりわい経済学の課題(3)

市場の弊害克服

市場は資源の有効利用にとって不可欠とされてきました。資源が少ないものは値段が上がり消費が減る、多いものは安く需要がそちらに移っていくと、市場は資源問題にも有効であるとされています。

しかし環境問題や資源・エネルギー問題の深刻さが増すなかで、正しさよりも便利さが勝つことになる市場の弊害に目を向ける経済学も強まっています。

例えば市場万能主義は車がないと買い物にも行けない社会をつくり、車のエネルギーを必要にします。その張本人のイオンがレジ袋を石油節約のために有料化するようです。明らかにこんなやり方では環境・エネルギー問題は解決しません。いま地球環境問題は小手先でなく真正面からの解決を求めています。

脱車の都市と地域づくりのなかでの商店街の復活、スーパーが持ち込んだ過剰な包装、容器での販売の追放が求められているのです。

次回・・・なりわい経済学の法則
29 . February
なりわい経営学の法則(1)

市場外の経済の拡大
 
 
市場取引にのらず、市場外の経済を構成するものの代表は人間の善意です。「あの店は困ったときにいつでも来てくれるから電気製品は少々高くてもあそこにしよう」「親の代からの付き合いだからこの店が信用できる」「子どもも幼稚園から一緒だから」など価値法則と直接関係のない経済が働くことになります。これは成長経済から成熟経済になり人が一定のところに定住し人口の流動性が弱まると、人の結びつきと善意が大きな役割を果たすことになるからです。

 市場外の経済行為として贈与・贈答が挙げられます。贈答はクリスマス、バレンタインは言うに及ばず、誕生日やさまざまな記念日、日常でも励まし・感謝などの気持を表す贈答は増える一方です。前はプレゼントといえば男性が女性に贈るのが主流だっだのが、これが双方向になりました。これだけで2倍になりますが女性のプレゼントは、回数では男性の比ではありません。女性は男性ほど無駄使いをしない分、買い物することが圧倒的に好きです。贈り物は相手のためでなく自分の楽しみでもあり、そのため同姓間でおこなうことも増えています。

問題はこの贈るものです。「ちょっとした」というのは男性の場合は値が張るという意味で使われてきましたが、女性の場合は値は関係なく気の効いたオシャレな物ということになります。値段よりも自らのセンスの表現と心地のよさが大事なのです。その場合に、できたら市場の手垢がついたものでないものが求められています。つまり量産品でないオリジナルがよいわけで、これを提供するのはなりわい経営ということになるでしょう。

次回・・・欲望から生存の経済へ
29 . February
なりわい経営学の法則(2)

欲望から生存の経済へ

 
経済学の前身は洋の東西をとわずよりよいくらしのための学問でした。古代ギリシャの学問の父といわれるアリストテレスは富を求める経済学はよりよいくらしの実現のための倫理学、政治学に従わなければならないとしました。(ニコマコス倫理学)。そのためアダム・スミスもマルクスも自らの経済学をポリティカル・エコノミー(政治経済学)と著書でも名づけています。古代中国の経済の語源「経世済民」は「経」(東経・西経の縦糸)で世をまとめ、「済」(平等に均して)救済する意味からきています。

 それが現在ではその目的が忘れられ市場が逆に猛威をふるうまでになっています。市場が世の中をよくする手段であることを忘れ、究極の正義のための目的に変わってしまっているのです。
 
 生存の経済は富と欲望の追求を野放しにした経済と違って、生を満足させ役立つ存在としての経済です。なりわいの経済を支える自営業を英語でセルフエンプロイメントと言います。自らが自らを雇う「自己雇用」の意味で、人に使われず人を使うことに気を使わない経営の形態です。経済としては非効率ですが自らだけに価値の源泉を求める経済活動の行き方です。

 生存の経済は若者の生き方としても重要になっています。サービス残業、派遣労働、偽装請負で消耗させられ、しかも終身雇用の保障もない企業社会からドロップアウトしたい要求は当然のことです。その際に自分の生存を満足させる、なりわい経営への志向は強まらざるを得なくなるのです。

次回・・・量から質の経済へ
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