なりわい経済学の課題(2)
「効率」の弊害克服
これまでの経済学では効率は絶対の善でした。人間が機械の部品のように働くのも効率をあげ、社会にものを多く安く供給する目標があったからで、効率はこの多く安くを実現する絶対条件だったのです。しかしこの効率の弊害も目立ってきています。
例えば繊維産業の織物で言えば織機、とりわけ高速の革新織機が生まれてから、糸の質は機械でトラブルが起こらない、効率よく織れるということが全体を支配するようになりました。そのためには糸は強さや機械の通りやすさや太さのむらをなくすことが重点になり、織機にかける前のサイジング(糊付け)も繊維を殺すために化学糊が大量に使われることになりました。こうしてできた繊維は「紙のような」ものになり、風合いが全くなくなります。
日本ではそれならと風合いを求めて新合維というものが開発されました。新合繊維とはこれまで天然繊維をまねてきた合維が天然繊維にないものを作ろうとする動きです。超極細の糸を使っての繊維の「ふわふわ感」、異収縮の糸を合成した「弾力感」、糸の表面を丸ではなく三角にするとか削るとかしての「ごわごわ感」「しわしわ館」を出すなど(いろいろしても合繊だから機械にかかる)、日本の技術力を世界にしめしたものと大騒ぎされました。しかしこれも表面的肌触りだけで、風合いという肌へのやさしさを実現することにはなりません。
今、あらゆる業種でこうした科学で大量生産の弊害を克服する試みが限界であることが明らかになり、その原点であった効率そのものの考え方、結局使い捨ての効率になっているのではないか、それなら環境問題や資源問題を考えたら、かえって非効率ではないかという考え方が経済学では強まっているのです。
次回・・・市場の弊害克服